おはようからこんばんはまで。
心身調整所 FLUXE(フラクス)の代表、湊翼です。
さて「そもそも湊翼って誰やねん」を胸焼けに変える
湊翼の過去シリーズ。

高校を卒業して大学に行かず専門学校に
入ることにした湊翼。
彼を待ち受けている数奇な運命とは…!

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高校のときからオープンキャンパスには足しげく
通っていて受験も何もなく軽い面接だけで入学しました。

夜間部に入学したので夜は新大阪の専門学校に
通いながら朝からは豊中の親戚の家から
原付で鍼灸整骨院に通いました。

鍼灸整骨院に勤めてるといっても
右も左もわからないガキには電気つけるくらいしか
仕事はなく退屈でしんどかったです。

でも今思えばそんなもんなのかもしれないですね。
お金も時給換算で700円くらいのもんでした。
その分、勉強は頑張ってました。

難しいといわれていた生理学や解剖学をひたすら勉強して
これ難しいとか甘えやんとか思っちゃうような
尖り方してたみたいです。

その尖り方もあって学年上位はほとんどキープしてました。
1年目の段階で3年目の国家試験には受かると
確信できたので、資格を取るためじゃなく
人の治し方を求めて勉強していました。

2年目の授業で変な先生に出会ってホンモノを
見つけました。曰く、「教科書に載ってることは全部嘘!」
と言い切るくらいに変な先生でした。

でもその言葉とか熱量がやたらに響いて
自分の中で離れなくなりました。

そこからは特に教科書の内容を信用しなくなり、
自分の発想をなるべく大切にすることにしていました。
資格の勉強だけじゃ飽き足らず、物理も勉強していました。

本屋にある物理のわかりやすい本や
サイトを調べ漁ってました。

物理法則に惚れていくのに時間は必要ありませんでした。
人間の心はこれほどまでにうつろいゆくのに
物理法則は全く変わらない、不変で普遍で不偏!!
素晴らしすぎる。

海馬コーポレーションの社長が見たら「ふつくしい…!」
って言ってしまうくらい。

そこから最終学年の3年になる前に
鍼灸整骨院をやめました。

同期の人が整形外科で骨折や脱臼の症例見てるんです
というマウントをとってくるのが日常だったので、
なんぼのもんやねんと思って整形外科に勤めようと
片っ端から電話して茨木の整形外科に
勤めることができました。

しかし診察風景を見学してガッカリしました。
軽く話してレントゲン、注射…患者の顔を見てるだけ。
表情の機微なんて気にしない。

気にしてられないんだと思いますが、ガッカリして。
リハビリという名のマッサージもしたくなかったから
3ヶ月でやめました。

その頃並行してジャンカラもちょっとバイトしたけど
すぐやめました。先の無さを感じて。

専門同期の方の縁でパチンコ屋に半年勤めました。
その時はとにかくお金を稼ごうと思っていたので
遠くても学校休みでも通ってました。

楽しく働かせてもらって試験にむけて
年明けくらいにやめました。

そして国家試験前に就職先を大阪市内の整骨院に決めました。
ホンモノの技術と知識を持っていた先生なので
その先生の元で3年間修行して技術と知識を
手に入れるためでした。

ちなみに授業をしてくれていた変な先生の院に
最初は希望を出したけど採用のタイミングが
合わなくて断られ落ち込んでました。

今思えばこれも大切な挫折だったんだなと思えます。
そして国家試験に受かって、
湊翼の社会人生活が始まりました。

つづく