おはようからこんばんはまで。
心身調整所 FLUXE(フラクス)の代表、湊翼です。
渡りに船とはこのことで今思えば
引き寄せしまくってたんだなって自画自賛です。

そして20代で一番肉体労働してる時代に
差し掛かっていきます。

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BARの店長をやることになり店はミナミだったので
近くに住もうと思い、松屋町に引っ越しました。

するとオーナーに紹介された不動産仲介をしてくれる人が
ヒゲはやしたスキンヘッドで、
一発目に夜の世界って怖いなって思いました。

そんな兄さんとはもう5年の仲になります。
色んな交流会に出てたので人を集める自信もあったけど
そんなに甘くはなかったわけで。

オープニングイベントはオーナーの知り合い、
イベンターもオーナーの知り合いと。
とにかくドリンク作るしかできなくて
「売上なんてどうやって上げるんだ?」と
よくわからず始めてたんですよ。

当時の湊翼はお金への執着がないというか、
お金の価値を考えてなくてオーナーの知り合いに
凄まれて2万の会計を2,000円にして
ブチギレられて凹んだ記憶があります。
てかそりゃそうだ。今なら湊翼でもブチギレします。

医療職とはほんとに世界が違う。
んで2.3ヶ月で集客がキツくなっていったんです。
いや、もっと早かったかな。

湊翼は店長としての意識も理解してなくて
指示を待ってたんです。

結局そんな奴が店長やってても店は傾いていくわけで。
持ち前の人あたりの良さで何とか
こなしてたけど売上が上がらない。

でも少しずつ店長の意味がわかってきて
矢面に立つようになりました。

全て自分の責任で、責任に耐えることで
稼げるようになっていくんだと。
ある時、違うBARのオーナーが飲みに来た時、
紹介してくれた人に「面白くなかった」といわれて
営業スタイルを思いっきり変えて
テンション高くやっていくようになりました。

その時のノリは大きな転換点だったようにも思います。
他にも調子乗りすぎて炎上したり(カウンターが)、
他の店の店長にブチギレられたり、
下の階のホストクラブに謝りに行ったり、
店長ならではのいろんな体験をすることができました。

ですがアルバイトは育てられなかったし
入れられなかったんです。

そもそも人件費かけれる利益も出てないし、
人を育てるのが苦手で無理~ってなってました。
営業時間は19-5時で、休みもなく働き続けてました。

朝まで営業して仮眠とって昼からBBQとか。
そこまでやって利益もほぼないって状況で。
120連勤して1日休んで30連勤の日々。

売上は立たないけどお客さんは来るから楽しませたい
というのは湊翼の意地みたいなもんでした。

結局、利益も残らず収入が0の月もあったので
借金しまくって金利15%のカードローンを
総額200万くらいすることになって、破産を何回考えたか。

でもまぁこんな額で破産するのはもったいないから
月々15万くらいの支払いをするようになっていってました。
2年目の12月でオーナーと話し合い休むことに。

かなり疲弊していたので当時は、
整骨院やるんじゃないの?って言われても、
やりたいのかわからないくらいになってました。
本末転倒とはこのことで。

そこから1ヶ月間完全に休み、
200万の借金の支払いもあったので3ヶ月の短期、
コールセンターで働いてました。

ほとんどのBARのお客さんには内緒にしてました。
んで、コールセンターで働きながら
整骨院の事業計画を作ってました。
電話かけてメモしてるふりして計画を練って考えてました。

そしてビジネススクールで事業計画をプレゼンして
資金を集めることができました。

人間は疲弊していると好きも嫌いもわからなくなります。
そのせいもあって、プレゼンは感情的ではなく
論理的に進めていました。

でももっと心を込めた方がいいといわれて
やっと感情を取り戻せたような気がします。
オーナーにも事業のアドバイスをもらって、
無事5月に資金を集められて
2018年6月から谷町四丁目に
整骨院を開業することになりました。

当時で26歳でした。

つづく