おはようからこんばんはまで。
心身調整所 FLUXE(フラクス)の代表、湊翼です。

まさか専門学校でそんな路線に走るとは
思っていなかったので自分でも驚きです。
整骨院勤務時代は特に四苦八苦していたような。

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専門学校を卒業した湊翼は大阪市で
一人暮らしをしながら整骨院に通うことにしました。

家から院まで約10分くらいで行ける距離で
家を見つけて家賃は3万くらい。

ワンルームのハイツで、
お世辞にもキレイとは言えなかった家です。

それでも夢の一人暮らし、働くことよりも
自分の自由が手に入って喜んだような。
で、仕事では社会舐めてた21歳は師匠に怒られまくり。

当然ですが仕事は遅い、段取りはできない、
言われたことは忘れるなどなどあげだしたら
キリがないほどに仕事ができない。

そもそも仕事しに行っているわけじゃなくて
勉強の延長線上みたいな捉え方をしていたので
どうもやる気も出ない。

でも無理して頑張るとやっぱり無理がたたります。
湊翼は鬱にはならないタイプなんですが
当時は鬱と認定されてもおかしくないくらいには
毎日が憂鬱でした。

学校の教科書の知識は何も役立たずに
知識云々というよりも仕事ができないことがしんどかった。

早く時間経って本読みたいなあって思ってました。
知識自体は物理の勉強をしてたので
物理法則とかが絡む理論は飲み込み早かったと
自分で思っています。

解剖生理も知識は強かったんです。
まぁ毎日骨格模型とか筋肉とか身体のことを
考えていたら頭にも入ってくるもんで。

でも実際の患者さんと対峙する技術や知識は
なかったんですよね。
何でこうなるの?とか言われても、
師匠がそう言ってるんで。みたいな。

そんな自分も嫌で自分の理論を構築してやろうと
頑なになっていた覚えもあります。

あとコミュニケーション能力なんかほぼなかったんです。
整骨院で本気出して笑い取るとか空気つくるとかは
絶対やりたくなくて、首輪つけられてる気分でした。
慣れてる人とは話せるけど人見知りしてた

ってのもあって問診もボロボロ。
聞けてないことが多すぎて師匠からの
質問に答えられなくて凹む。

怒られすぎて病み気味になり本屋に行って
自己啓発系の本を100冊くらいは読んでました。

それこそ仕事術、時間管理術、心理学、行動経済学、
投資系も含めてビジネス書もたくさん。

そのかいあってか人体に対して、
施術に対しての技術と知識はしっかり手に入りました。

そして少ない給料をやりくりしても
保険も奨学金も年金も払えないし、
勉強代もなんとか捻出してたけれども
年金の支払い用紙が1年分届くのと同時に
住民税の用紙も届いて、
12か月分並べてみても絶望しか見えなくて。

投資もいろいろやったけど、
結論は事業をやりたいってなったんです。

相場はわからないけど人ならわかるから事業をやろうと。
3年目の後半はとにかく色んな人に会いに行ったんです。

交流会やイベントで外に出てとにかく
知り合いを増やしまくってました。

そんな中でBARを始めようとしている人と出会いました。
今のBARから独立してオーナーをするから
店長をしてくれる人を探してると聞いて、
やりたいと申し出ました。

その時の湊翼は責任が欲しかったし
経営を学びたかったから渡りに船で、
責任の重さが収入に直結することと、
経営を学ぶなら実践しながら学べばいいということと、
メッシの言った、乗るべき列車は1度しか来ない。
という言葉と
専門同期の人に聞いた、立場が人を作る。
という言葉が頭をよぎって離れなくなって、

もし騙されてても地元の滋賀に帰ってゆっくり
借金を返していけばいいかと腹を括り
店長をやることにしました。

そして彼と同じビジネススクールに入ることもできて
自分が学びたいと思っていた経営やビジネスの知識を
実践ベースで学ぶことができるようになり、
湊翼の経営者としての人生が始まりました。

当時は24歳でした。

つづく